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絶対音感の問題点、弊害について
  絶対音感の問題点、弊害について


    −宮崎謙一『絶対音感保有者の音楽的音高認知過程』を読んで−

 新潟大学人文学部教授でいらっしゃる宮崎謙一先生『絶対音感保有者の音楽的音高認知過程』という研究報告(1999)を読みました。

 宮崎教授は、日本の音楽教育(殊に商業的な幼年期音楽教育)の現場において、絶対音感至上主義ともいうべき状況があることを踏まえ、絶対音感に頼る音楽認識には弊害があるのではないかという問題点から出発して、科学的に厳密な実験によって、絶対音感を保有することが、却って音程やメロディーの認知の場面において不利に働く、すなわちハンディキャップとなりうるという事実を、実証的に解き明かしておられます。

 これは、絶対音感非保持者であり、常日頃、絶対音感至上主義的風潮に疑問を感じていた私にとって、たいへん納得できる、また勇気付けられる研究でした。

 わたし自身は、統計学の知識がないため、その実験結果に対する分析法の妥当性をチェックする能力はないのですが、そこで、問題とされている事象や、結論の意義については、理解できました。

 宮崎教授のとられた実験方法を簡単に要約します。
 まず、被験者を絶対音感保持者と非保持者に分けます。保持者はさらに、完全保持者、不完全保持者、部分的保持者などに区別されます。
 そして、各々のグループに対し、いくつかのテストを行い、反応結果の相違点を分析していきます。
 テストはC-Dur、低めのE-Dur、Fis-Durという三つの調性で、単純な二音間の音程の聞き取り、また短いメロディーの聞き取りを行う、というものです。
 また、元となるメロディーを移調して提示し、移調されたメロディーが、元の形と同じであるかどうかを判定させます。

 その結果は、次の通りです。
 C-Durにおいては、絶対音感保持者がやや優れた成績を出しますが、、低めのE-Dur、Fis-Durにおいては逆転が見られる。
 また、移調したメロディーの聞き取りにおいても、同様に非保持者の成績のほうが優れていたことを明らかにしています。

 この結果を、宮崎教授は、こう分析されています。


 絶対音感保有者の相対音高処理に関する実験の結果から、絶対音感保有者が、Cのコンテクスト以外の場合には相対音高を認知することが困難になる場合があることが明らかにされた。これは絶対音感を持つ人々が、相対音高を処理することを必要とするような場合にも絶対音高ストラテジに固執する強い傾向があることを反映しているものと言える。このストラテジはCのコンテクストに固定した移調不能なスキーマのようなものなのかもしれない。事実、ある被験者は、絶対音高ストラテジに固執して、楽譜や鍵盤のイメージを操作したり、指を折って数えたりといったやり方で、音程やメロディの判断をしていたと語った。このことは、絶対音感を持つ被験者が、音程やメロディを、調性的コンテクストを背景としたピッチ関係としてではなく、個別的なピッチの単なるつらなりとして聞く傾向があることを示唆している。このような聴取ストラテジは音楽的聴取からはほど遠いものである。

 宮崎教授の報告から引用。強調表示は、筆者による。


 音楽において本質的に重要な音程認識とは、ピッチとピッチと相対的関係、すなわち、相対音程の認識であり、にもかかわらず、絶対音感保持者は、音程を相対的に把握することをせず、絶対音高ストラテジに固執する強い傾向がある
 このことは、私自身が学生時代の経験から実感していることと正確に符合します。
 分かりやすい例で言えば、絶対音感をきっちりと身につけたピアノ科学生などは、絶対音感を持たない声楽科学生などに比べて、移調唱を苦にする強い傾向があります。絶対音感保持者に尋ねて確認したところによると、移調唱に際しては、いちいちの音符(音高)を「読み替える」必要があるというのです。
 このことは、宮崎教授が、述べられている、


絶対音感保有者が持つメロディの楽譜からイメージするのは、Gestaltとしてのメロディではなく、固定した絶対音高レベルに結びついたものなのかもしれない。


 という推測を、裏書する一つの事例だと思われます。

 楽譜を読む際には常に相対的音程関係を把握している(それこそが音楽として楽譜に書かれている音符の連なりを「理解」することなのですが)、絶対音感非保持者にとっては、何故、移調唱にさいして「読み替える」などという無駄な作業が必要とされるのか、それこそが分からないのです。

 また、教授は、そのような絶対音感の弊害と、日本の初等音楽教育の現場における絶対音感至上主義的な風潮に対しの懸念から、以下のように提言をされています。


 絶対音感保有者は、幼児期の訓練によって絶対音感を身につけたが、音楽的にはるかに重要な相対音感は完全に発達しないままになっていることがあるかもしれない。いったん正確な絶対音感を身につけると、音楽活動において、絶対音感に頼ることの方が相対音感を用いるよりもはるかに簡単だからである。その結果、絶対音感は相対音感の発達に妨害的な影響を与える場合があると考えられる。とするならば、幼児期からピアノのレッスンを始め、その結果、絶対音感を獲得した子供たちに対しては、相対音感を十分に発達させるための、慎重に計画された系統的な訓練が用意される必要があると言えるだろう。


 この提言には全面的に賛同します。
 個人的には、絶対音感教育自体をやめてしまえばいい、とも思いますが、それは現実としてありえませんから。
 しかし、残念なことに、相対的音程認識の本質的な重要性を理解し、相対音感の発達を促すようなプログラムを持っている教育者は、街の音楽教室には皆無でしょうし、学校音楽の現場においても、ほとんど存在しないか、いても極々少数派にとどまる、というのが現実でしょう。

 まず、小学校に、音楽専科の教師が圧倒的に不足している現状がありますし、現在の情勢でこれが改善されるとは思えません。

 しかし、それ以前に、音楽の教師となる人間の認識が問題です。
 街の音楽教室で絶対音感至上主義を植えつけられ、そのまま相対音感の重要性を理解することもなく、大学を卒業して教育現場に入り、絶対音感的音楽教育を何の疑問も抱かずに実施する教師が多数いるという現状がある以上、そのような悪循環が断たれることはないのではないか、と懸念されるのです。
| 音楽理論・音楽学のような感じ | 01:37 | comments(0) | trackbacks(0)
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